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多磨全生園・失楽園の日々
○当時の患者たちの居室の模型。
○男子舎、女子舎。それを隔てる塀。通い婚や、断種について語る夫婦。
首都に近い多磨生園は・日本のハンセン病隔離撲滅政策のモデルでなければならなかった。民族浄化の使命感を持つ若き医師、光田健輔は、その事業に没入する、
強制収容された患者は十二畳一間に八人が雑居した。プライバシーはない。信書の自由も、外出の自由もない。
男女別々の棟に住んでも、自然の交流は起こり、塀を破って、一種の通い婚も始まる。本能や、愛情をつみ取ることは出来ない。
子どもも生まれる。管理者はそれを恐れた。ハンセン病を患者ごと根絶したかったからである。
光田健輔は、結婚の条件として、男子の断種手術を要求した。
妊娠した女性には中絶である。女子舎に行く可能性のある者には断種を施した。屈辱である。
そこには生命の尊重はない。
奄美和光園では患者の出産を認め、五十数名の子どもが産まれた。出生と同時に、養護施設に引き取られ、そこで育てられ、今日まで一人として発病したものはいない。
○そこで育ったAさんの声。
○病室、予防着、長靴、高下駄。
○患者が作業に使った鋤鍬、大工道具、蝦治屋、汲取り桶など。
ナチスは民族浄化と称して、ユダヤ人を強制収容し、ゲルマン人でも精神病者には断種を行った。全体のために、少数者や弱者を切り捨てる非人間性は権力の本質である。
そこで育ち、結婚したAさんは、今日では二児の親である。
Aさん…
日曜日の和光園では患者の孫たちが親に連れられて遊びに来る。医師は、予防着を着て、目だけ出る頭巾をかぶり、長靴か高下駄で土足のまま、部屋の畳みの上に踏み込む。患者を不可触賎民として扱ったのだ。そこに医師と患者の心のふれあいが生まれる箸はない。直接、手を触れて重症者を介護するのは、軽症の患者の仕事とされた。
患者は各自の症状に応じて所内の作業を割り当てられた。
本来、職員がやるぺきものまで。病人なのに休むことは許されない。強制労働である。囚人のように棒縞の着物を着せられた。
その賃金は雀の涙。それは患者の生活のための予算から出るから、働けば働くだけ、自分たちの生活の質を落とす。しかも、それは園内でしか通用しない金券で渡される。逃走させないためだ。

 

 

 

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